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海外の民を救うのもいいけどさ、まず助けるべきは自国民でないかなと思う話

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恵まれてるかどうかを自己診断すると、僕はいろいろと恵まれてない方だと思うぞ。

最近とある記事を目にして、凄く立派なこと言ってんなあと感心する反面、どうしようもない違和感を感じることがあった。

僕が違和感を感じた記事というのはこちら。

参考 あなたはこの写真(南スーダン難民の男の子)に「見て見ぬふり」ができますか?

なぜこの記事に僕が違和感を感じたのか、その理由について触れてみようと思う。

日本に生まれた。それはとてもラッキーなこと

僕が先の記事に違和感を感じた理由って、日本に住んでいるからこそ感じるものなのかもしれない。

確かに日本で生まれ育つことができたというのは、この地球上で生きていく上でこの上なく幸運なことだと思う。とはいってもそれって結局のところ、他の国と比べて運が良かった程度のもので、より広い宇宙を比較対象にすると誤差のようなもんでしょ。

比較的幸せを感じられる日本でも一歩間違えば貧困一直線

上で紹介した記事ってつまるところ「日本の裏側に住んでいる人々の支援をずっと続けていきたい、お前らも関心を持て、ゆくゆくは支援を」ってところに行き着くのだと思う。

だけど僕は日本を飛び越していきなり世界の貧困について語り始める人のことを安易に信用したりしないのだ。たとえ本当に支援を続けていたとしても。それは立派なことなんだろうけど、結局は自己満足にすぎないのではないかと思うわけ。

僕が住んでいる周辺ではほとんど見たことはないけど、職場がある新宿近辺ってけっこうホームレスがいたりする。毎朝の通勤途中、公園近辺でゴロゴロ寝てたり、空き缶チェックをやってたりするわけさ。

理由はともあれ住所不定無職、ホームレスになってても、なんとかその日暮らしができている彼らに対して幸いにも日本における普通の生活ができている人が、仮に「かわいそうだから」と自ら支援に乗り出すことってよくあることなのかと尋ねられると、僕はそんなことないと思ってる。むしろ珍しい人だと答えるだろう。

僕らは見知っている人でもない限り、基本は見て見ぬふりをするのだ。

自分の生活に余裕があるヤツなんて多分そんなに多くない

こればっかりは体感でしかないけれど、日本に生まれて良かったと思うことはあっても、この日本で余裕を持って生活できているってわけじゃあない。

苦しいとはいわないけれど、フッと息を吹きかければ吹き飛んでしまうような暮らしをしてる人ってけっこう多いんじゃあないかと感じるのですよ。類は友を呼ぶと言われればそうなのかもしれないけれど、僕の周辺ってけっこう日本を基準にしたところのギリギリって人、けっこう居ます。

贅沢しているわけでもなく、無駄遣いしているわけでもない。だけど一向に生活がよくなっている気配もない。貧困国と比べてしまうとその程度は大した問題じゃあなさそうに見えてしまうけど、日本で生きていくうえではやっぱけっこう悩める問題なわけですよ。

そもそも「アフリカの子どもたちは…」って引き合いに出すのはおかしい

子どもがご飯を残そうとするときによくある例え話。

「アフリカには食べたくても食べられない子どもたちがたくさんいるんだから残さず食べなさい」って子どもだから無理やり納得させてるに過ぎないよね。

子どもの頃は「そうなのか〜」なんて特に何か考えるわけでもなく、そして食べきれねーよなんて思いつつ無理して食べていたけれど、成長していくにつれ、よくよく考えるとおかしいと考え出すわけです。

その場にいるならまだしも、なぜ行ったこともない国の子どもたちを引き合いに出す必要があったのだろうか。

ずっともやもやが残る中で見聞きしたダウンタウン松本人志が言ったといわれるセリフには清々しさを覚えたことも確かだ。

「アフリカの子どもらも腹いっぱいになったら残すわ!」

そうだよなあと思うと同時に、無意味な比較だよなと思うと自分の子どもがご飯を残そうとしても「アフリカの子どもたちは〜」なんて言わないようにせんとなあと密かに思った20代前半。

一体あと何年支援を続ければいいの?

アフリカって何年支援を受け続けているんだろう。そしてあとどれだけ支援が続けばアフリカの恵まれない子どもたちというのはいなくなるのだろう。

おそらくそんな日はこないのだ。ずっとこのまま。よっぽどの何か革新的なことが起きたり、偉大な指導者でも出現しないかぎり、アフリカの恵まれない子どもたちというフレーズは、僕が何事もなく天寿を全うするその日がきてもなくなることはないでしょう。

ちなみに、Google検索で「アフリカ 支援」と入力したあと、どんなサジェストワードが出てくるか知ってる?

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無駄

なんですよ。口には出さずとも、多くの人がそれを感じているってことは確かなことだと思う。

どれだけ長いこと支援を続けてきたのか僕にはいまいちわからないけど、今日までずっとその状態が続いているってことは…すべてが無駄だったとは思わないけれど、ほとんどのことが無駄に終わってしまっているんだなと思うほかに続く言葉を僕は持ち合わせてはいないんだな。

件の記事では「日本の消費行動がアフリカの紛争や貧困の原因を生み出しているかも」みたいな書かれ方されてたけど、それはちょっと極論すぎ。

見てるぶんにはたいそうご立派、きっと僕なんかより深い考えを持ってるんだろうけど、世界を見るより先に日本の貧困層を救う方が日本人としては先なんじゃあないかなと思いつつ、今日も僕は駅の喫煙所でどこの国かもよくわからない、嘘か誠かもわからない、支援募金協力お願いしますとカードを見せながらやってくる外国人に対して、首を横に振りながらタバコを吸うのです。

今回の教訓

日本だってけっこう多いと思いますよ、助けを必要としてる人。自国の民は見てみぬふり・・・なんですかね? 僕はアフリカ支援のための募金と、日本で助けを必要としている人のための募金なら、後者を選ぶなあ。自分たちの国の人を救えずして、他国を支援ってやっぱ変でしょ。

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