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「失敗しないこと=成功」じゃないんだぜ。ついでにいうと「失敗=ダメ」でもないんだぜ。と声を大にして言っておこう

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まずは1回や2回くらい、失敗しとけってんだ。

最近Twitter界隈(といっても僕がテキトーにフォローしている観察対象)において、いわゆるブロガーの成功体験が過剰と思えるほどにタイムライン上に並んでいるのがよく目につく。

成功したことについてはけっこうなことで、それ自体をひがむなんて感情を僕は持ち合わせていない。あくまで観察対象にしているというだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

僕がなんだかな~と感じている部分は、その観察対象の取り巻きにも思えてしまう何者にもなっていない人々の奇妙とも思える信仰心についてだ。

僕はブロガーという言葉はあまり好きではない

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僕は「ブロガー」というワードがあまり好きではない。むしろ嫌悪感すら覚え始めている。逆にユーチューバーというワードは嫌いじゃない。

世間的な感覚に直してみると(といっても僕の肌感覚にすぎないが)ユーチューバーというワードのほうが嫌いという人の方が多そうではある。シンプルに好きか嫌いかという個人的な感情にすぎないわけだが、なぜブロガーというワードが嫌いなのかと考えてみたところ、ブロガーという存在がブログ初心者と呼ばれる存在に向けて発信する記事に対してTwitter上で「参考になります」的な反応だけを目にする機会が多いからだろう。

ユーチューバーの動画に対するリアクションってどちらかといえばその動画のコメント欄上でほぼ完結する(しているように見える)ことに対して、ブロガーの記事に対するリアクションはTwitter上で行われることが珍しくないからなのかもしれないなあと個人的感情を自己分析している。

コッコ
そんなもん、ブログのコメント欄にでも報告したら?

そう思うわけであります。

ブログ初心者とやらがブログ論を追いかける先

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そこで僕が思うところは、ブログ初心者という者たちがどこに向かっているのだろうということだ。

なんというべきか、今のところ適切な言葉を持ち合わせてはいないのだが、僕は他人のブログ論、ブログテクニックを参考にすることってないんだわ。

ブログカスタマイズ的な技術的要素を含む記事は別だけど。文章の書き方だとか、レビューの書き方だとか、そんなもんは一切参考にしない。どう書けば読まれるのか、そういった感覚って書きながら、悩みながら思考錯誤を楽しむもんだと思うから。他人が説く「こう書けば読まれる」なんて、お前らにとっての正解じゃないからね。

狂ったようにありがたがって右にならえをするように記事を称賛している様は、端から見てると若干不気味さすら感じている。参考にしたその先に生みだされる記事なんてのは単なる劣化コピー記事なんじゃあないかい?

お前らはブログの書き方学ぶためにブログやってんのか?

コッコ
ブログの書き方習わなきゃ書けないようじゃ辞めたほうがよかばい

ブログ論的なものを学んで、習得した先に何が待っているんですかねえ。

何が書けるんですかねえ。

何を書いて伝えるんですかねえ。

その記事にはお前が表現されてるんですかねえ。

僕が劣化コピー記事にしかならないと思う理由はそこにある。

ブログ論を語るブロガーに心酔してしまっている君たちは、結局のところ何も書くことなく、何者にもなれないままに、埋もれていくしかないのさ、失敗すらさせてもらえずに

僕はブロガーでもなきゃアフィリエイターでもない。僕は僕だ。

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半年くらい前の話になるが、僕はブロガーなのか、アフィリエイターなのかという今考えてみるとすごくどうでもいいことについて考えた時期があった。2010年頃からブログを書き始めてこんなことを思ったのは初めてだった。

そう考えた理由はTwitter上でやたらと○○@ブロガー的な、アカウント名に全面に押し出されるブロガーアピールが目につくようになってきたからだ。

そんなもん、僕にとってはどうでもいいんだよな。別に肩書きにするわけでもないし。そんなわけで僕は僕だ。ブロガーでもなきゃアフィリエイターでもない。僕なのだよ。

僕は誰かに記事を書けと言われて書いているわけじゃない。自分が書こうと思ったから書くのだ。

失敗するくらいがちょうどいい

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Twitter上で僕が観察している範囲に限ったことかどうかはわからないが、あくまで僕が観察している範囲においては「失敗しないように」指南する記事のシェアで満ち満ちている。

_人人人人人人人人人人_
> なんて優しい世界 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

しかしだな、失敗しないように育てられた人間はけっこう脆いと僕は思っている。そのように育てられてしまった人間は、自身が失敗に直面したときによもや自分に原因の一端があるとは微塵も思っていないのだ。

「あんなにしてやったのに『のに』がつくとぐちが出る」という相田みつをの名言とはちょいとばかり違うけれど、「あんなに参考にした『のに』ブログ運営がうまくいかないじゃん」という愚痴が出ることくらい、割と想像できてしまうのだ。

手取り足取り教えてもらった人間というのは、仮に失敗してしまうとその失敗を糧とする術をもたないのだ。ありがたきブログ記事の書き方指南記事を参考にして実践したら必ず自分も成功すると思っているからね。

誰しも失敗なんて好んでしたくはないだろう。僕もそうだ。何かをやろうと思ったとき、成功することしか頭にないが、そうはいっても実際は大なり小なり失敗するもんだ。「成功すること」しか頭にないと失敗したときになぜダメだったのか(ブログ論的にいえばなぜアクセスされないのかとかそんなの)考えられない。立て直し方がわからないのだ。

「成功する」ではなく「成功させる」という意識で臨むといいだろう。意識を変えるだけで、失敗したと感じた後の行動に差が出るように思う。

まずは自分で考えれよ。そうすれば目標を達成するためにどうしたらいいかを色々と考えられるはずだ。Aという作戦を立てて実行する、それがダメならB作戦みたいな。仮説立てて検証しながら色々と試せばいいのに。

失敗してもどうせ死なんじゃろ?

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コッコ
失敗したら死ぬの?死んじゃうの?んなこたなかろう

世が世ならもしかしたら失敗即切腹、打ち首の刑に処されたかもしれん。だが今はそんな世じゃなかろう。

時折「ブログに命懸けてるんです」という類のツイートを見かけることもある。たしかにブログにはいろんな意味で大きな可能性はあるだろう。だが、はっきり言って命を懸ける価値はない。

「命を懸ける」って言葉を出すほどの決意表明なんて、もっと別の機会にとっておいたほうがいいよ。少なくともこの記事を目にした人にとって、ブログに命を懸けるほどの価値はないのだ。

そんで、ついでだから言っておくと、命懸けると言う割りに人に手取り足取り教えを乞おうと必死な様はなんとも滑稽だ。

「何がダメなのかわからない」なんて本気で言ってるうちは命なんて懸けてないから安心しろ。何がダメだったかを分析して、次はこれで、次はあれでみたいに失敗を自分の糧にできないようなら人に習っても愚痴しかでないから。そして、死なないから。

今回の教訓

ブログの書き方なんて好きにやれよ。人に習ってうまくいったところで、それは面白いのか?個性の出し方がわからない?僕は君じゃあないからもっとわからないよ。

そう思う今日この頃。何事も自分が楽しいと感じないと続かないもんです。

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